広告考06

企業経営において、曖昧なものは排除される。広告効果が数値で見える提案でなければ受け付けないという企業があります。納得できる部分もあります。コピーライターに関して言えば、もはや広告だけが活躍の場ではなく、企業理念、指針、イマドキの言葉で言えばパーパスのようなものもコピーライターの仕事になります。しかし、それをやったからと言って、業績がすぐに数値で現れるかは、当の本人であるわたしも疑問。大雑把に言えば、企業活動の質的な変容がまず見られ、それから売上に出てくるのではないかと思います。さらに言えば、書いた理念や指針を、企業組織の一員として組織に定着を図り、運用までオセッカイを焼いてこそ、成果が見えてくると経験上思っています。いきおい、言葉だけチョーダイ、という依頼は、いまのわたしには物足らない。コピーライターが企業の核心を言語化すればするほど、その使命感がコピーライターの立ち位置を変えさせるのではないかと思います。それを余計なお世話ととるか、有り難いととるか、それも経営者によって違いがあって当然です。変容するコピーライターをどのように企業経営に位置付けるかという問題です。


タグ:#CONERI #コミュニケーション #コンサル #デザイン思考.#東京 #言葉と経営 #人見 #理念 #企業理念

広告考05

イメージは、新しいアイデンティティを形成し、競争力を高める。イメージをつくるものに、言葉があり、デザインがある。某県の公共施設のロゴマークの公募に対し、採用者には5000円の謝金を用意しているという行政の案件に、それはいかがなものかと主には非難の声が上がっている。一つには、その公共施設は、ロゴマークを活用した新しいイメージづくりや、それによる競争力を高めることに頭がいっていないのだと思う。名前のタイポとセットでマークもあればいいや、くらいの感覚なのだろう。公共施設とは図書館であると承知しているが、TSUTAYAなどに委託をして、公共の図書館の利用を促進していこうとする取り組みがあるなかで、ずいぶんとのんびりとした考え方をされているなと思う。繰り返すが、イメージは、新しいアイデンティティを形成し、競争力を高める。図書館であれば、おもしろさを言うのか、端正で知的であることを訴求するのか、子どもに対する親しみを出すのか、すべてイメージでコントロール可能な部分がある。全体の戦略を描く人がいないのだろう。公共施設は税金で成り立っていて、利用されない施設は閉鎖の時代。ロゴマークを戦略的に使う発想に至らないのは、勉強不足? 勉強不足が税を無駄にするという意識はあるのだろうか。



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広告考04

いま属している研究室は地域・交通計画。交通の世界では、人や車あるいは物資の移動の起点をorigin、終点をdestinationという。トリップとも言う。家から職場まで行くなら、家はorigin、職場はdestination。企業のコミュニケーションも、ODの時代。終点まで導けてはじめて成立するものだ。口コミで知って、ネットで確認して、テレビCMで何度も刷り込まれ、休日に店頭にて購入する。これで、ワントリップが成立。ある人は、先にSNSで知ったものを、勇み足で店に見にいき、すぐに買う。これもワントリップ。トリップという単位でコミュニケーションをとらえるのが大事。そうなれば、単品の評価やコスパはあまり意味がない。ワントリップいくら、である。企業のコミュニケーションの評価指標から変えないといけない。上司にネットは効果あるのかといわれて、正確に回答できる人はいない。部分的に断定する以外、答えようがないが、いまだにそういう質問に苦慮している話をよく聞く。家から職場まで行くのに、徒歩、電車、バス、徒歩とするなら、電車だけを取り出して議論するようなもの。その議論は、都市の交通政策の観点からは意味がありそうだが、トリップする通勤者にはあまり意味をなさない。通勤者は、乗り継ぎが大事で、コミュニケーションでいうと、前後の関係性である。同じことを形を変えて言えているか。論理的整合は、ポイントの一つ。あくまでも、トリップ全体でとらえないといけないということだ。


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広告考03

字が小さくて読めないと言われれば、読めるように大きくすることが親切というものだ。難解で理解しづらいと言われれば、できる限り文章を平易にすることも新切だ。しかし、企業のコミュニケーションにおいて、その親切が裏目に出る場合がある。明確なターゲット設定がぼやける場合である。簡単に言えば、若者向けと高齢者向けでは、文字サイズは自ずと変わって問題ない。(ユニバーサルデザインというものがあるが)。知に挑むような文章であっても、そういうターゲットに対するそういう性質の広告なら問題はない。どこにターゲットを置くかによって、すべては変わる。それが曖昧であれば、すべての要望を飲むことになり、焦点がぼやけて、結局誰にも届かないものが出来上がる。誰も幸せにならない。字が小さいと指摘をした当の本人だって、言ったことさえ覚えてもいないことだってある(そんなもんです)。優れた制作者の初志貫徹は我儘ではない(こともある)。多数決は標準化でしかないこともある。目に留まらないと意味のない企業のコミュニケーションにおいて、標準化はどっちでもいいことのはずだ。


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広告考02

世の中は、閉じていないか。ネットの台頭で世界はつながったかのように思われたのもつかの間。膨大な情報に人は疲れていると仮定する。SNSなどのコミュニティは、広がっているようで、閉じているとも仮定してみる。その信頼は、いまや金で買える。「いいね」の数は、金で買える時代だ。その市場規模は100億ドル単位らしい。コミュニケーションは金になるというのは、アメリカのアドバタイジングが日本に輸入された時からわかってはいることだが、金と信頼は、なかなか相性が悪いのかもしれない。何をどうすれば伝わりますかという企業からの問いに対して、こうだ!という決定打は一つではない。複数あり、その順序があり、それぞれに出すべきコンテンツは違う。どこまで考え抜いても、情報の受け手は飽和していて、疲弊して、内に向こうとする。防御本能もあるのだろう。しかし、企業は伝えたい。この折り合いをつけるのは難しい。難しいが、何とかしたい問題だ。


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