【これも、コピーライターの視点_78】


<便利さの反対を付加価値にかえよう!>

休日の読み物に、少し長いポスト。マックス・ウェーバーの「理解社会学のカテゴリー」(岩波新書)によると、人の判断基準は、価値・目的・因果合理性のいずれかだと言っています。広くこれらを「意味」という言葉でとらえると、人は意味を見出せることには主体性を発揮し、意味を見出せないことについては、消極的になるという現象があてはまります。意味が見いだせることに取り組むとき、人は「自己肯定感」を感じ、意味を見いだせないことに取り組むとき、人のそれは低いと仮説を立てることができます。

 意味の見出しづらい作業について、わたしたちはIoTの導入を進めてきているとみることができます。工場における単純作業などはその例としてわかりやすいと思います。わたしは大学時代、3日間だけの短期アルバイトに応募して、向かった先は、ポキッと真ん中で二つに折れるアイスの「チューチュー」の製造工場でした。アツアツのチューチューの液体が注入された状態で、ビニルに破損がないか。また、液体が規定量入っているか目視して、破損のあるものをラインから取り除く作業をしました。このような単純作業は、時間のたつのが遅く感じられたものです。4時5分の次は4時12分であり、永遠に5時が来ないのではないかと思いました。意味のない作業ではありませんが、検査マシンを投入した方が良いのではないかと思ったほどした。

 人は、意味を見出しづらい作業について、自動化を試み、それを「利便」「便利」と呼んでいます。自己肯定感という言葉を用いれば、自己肯定感の抱きづらい作業に利便性を追求していますが、逆も真なりで、自己肯定感が高い人は、不便のなかに意味を見出すのではないか。おもしろがるという性質もあるかもしれません。わたしはいま、クルマのリモコンキーに内蔵されている真鍮のカギをシリンダーに入れて、ロックしています。ボタン一つで閉まるものですが、カギを掛けた感触や機械音が心地よく感じられます。

 利便性の追求は、これかまらますます進み、人の作業の一部を奪う時代がもうきています。それに向き合う姿勢を、自己肯定感の高い人と低い人とで分けた見たときに、不便を楽しめるという層が出てきます。小さな親切が大きなお世話だという層です。これは、食事にも言えます。例えば、自分の好みによってレモンを絞るとか、「生グレープフルーツ酎ハイ」と言って、グレープフルーツが半玉出てきて、自分で絞るという作業を課されているメニューがその一例です。鉄板でお好みの加減で肉を焼けというメニューも同様でしょう。そのひと手間の「仕掛け」が、価値・意味につながっていれば、付加価値として成立します。この場合の価値とは「美味しそう」ということですね。問題は、どのような文脈でそれを提供するのかということ。「速い! 安い! 旨い!」を提唱している店で、そのひと手間は、クレームでしかありません。マックス・ウェーバーの理解社会学の本を読みながら、そんなことを思っていました。読書の秋です。


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