<人の成長>

【これも、コピーライターの視点_144】

節分がきて、ぶじ後厄が終わったのだと思いますが、信じる・信じないは別に、何となく心が軽くなった気がします。とらわれていたものから自由になったというか、ふわっとカラダが浮かび上がるような軽やかさを覚えます。会社の引っ越しで目にした10年に余る期間の資料には、成果の上がった企画、オクラとなった企画などがあり、自分の器を見ているような気がしました。何でもできるように思えて、できることは限りがあるということも振り返って知ることができました。

一貫しているのは、コピーライターの可能性の追求と仕事領域の変容を遂げること。コピーライターと名乗るのに恥ずかしくないだけの広告賞を獲り貯めて、それからは自主企画の立ち上げに熱心だった時期がありました。そこから活動団体を立ち上げるというところで停滞していました。その学びからいまは、「組織」を作るのではなく、「文化」をつくる、または「人」をつくるということが大事だという考えに至っています。企業の存在価値を言葉で明確化・戦略化していくというコピーライターの仕事を通して、人をつくり、文化をつくるということが、その職域の変容の可能性として見えてきました。

事務所の引っ越しをしていて、人はパンだけに生きられないものだと、つくづく思ったものです。生きづらさを乗り越えるために、思いを言葉にしてみたり、誰かの考えに寄り添ってみたり、自分を置き換えてとらえる何かを欲したり。そのたびに本を開いたり、映画を見たり、絵画を眺めたり。そして、それらの多くはわたしを通過し、ある部分は記憶され魂の一部となり、他の多くは意識下に潜り込んでいるだけのような気もします。文化の消費ができるということも、豊かさの一つなのでしょう。

私たちは、常に花が咲くときに感じる得難い豊かさのようなものを欲しているのではないか。それは、人の成長のそばにわたしは見て取ることが多いような気がします。有名なくだりに、「意識が変われば、行動が変わる」というのがあります。わたしは、意識が変われば、その変化を具現化できる「方法」を会得し、その継続の果てに行動が変わるのだと思います。「方法」を示し、二人三脚しているのが、CONERIのコミュニケーションコンサルです。そして、それは、人をつくり、文化をつくることにつながっている。模索の末に、ようやく、そう確信できるところまで来ることができました。週末は子どもの野球。成長している子どもは、実にいい表情をします。子どもに学び、わたしも成長できています。


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<哲学の散歩道>

【これも、コピーライターの視点_142】

日曜のあさに本棚を眺めながら。わたしが自分でせっせと本を買い始めたのは大学に入ってからのこと。下宿を引き払うときもその移動に往生しましたが、その当時のままの本もずいぶんと手もとに残っていました。何年も開いていない本は、勇気を出して処分しようとしていましたが、いざ手放すとなると、自分をつくってくれた本だという意識がジャマをします。

結局、手元に残した本は、古典と哲学。あとは、コピーライター関係の本。わたしの読書歴を振り返ると、10代の後半から20代は「解放」という言葉が当たります。自らとらわれていたものから、本は解放してくれました。その過程で言葉の持つ力に心を動かされ、コピーライターという職業を選択したのだと思います。コピーライターという職業が氷山の一角であるとすれば、その水面下には古典や哲学の海が広がっていることがわかります。

ネットの進化によって、お手軽なノウハウや説明的文章(○○の方法など)の需要が後を絶ちません。古典や哲学は流行るものではないかもしれませんが、ものを生み出す人の背景に、ひっそりと在って欲しいと思います。42歳という自分の年齢的なことから言えば、ノウハウや説明的文章だけを読んで過ごすには、人生は長すぎる。そんなことを思いながら、本を選っていました。

もちろん、日々の忙しさは本からわたしを遠ざけますが、あえて何も予定や仕事を入れない時間をつくることが、さらなる成長を担保するのではないかとも思います。1月の手帖は、もう真っ黒で、2月も怪しいものですが、哲学の散歩に出かける時間を持ちたいと思います。


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<モノサシの誤りかもしれないという仮説>

【これも、コピーライターの視点_141】

ゆとり教育は失敗だったという向きがあることは誰もが聞いたことがあると思います。しかし、わたしは、ゆとり教育の評価を、これまでと同じ偏差値ではかろうとすることに無理があるのではないかと感じることがあります。もっと多様な評価の観点はなかったのか。教育の現場にはあったのかもしれませんが、社会的にはどうしても大学入試という「出口」が変わっていない以上、失敗となっているのかもしれません。

このように、新しい取り組みには、新しい評価指標が必要です。教育の場合、どのような「学力」を子どもにつけるのか、ということがその最大にして本質的な軸。企業経営であれば、どっちに転んだって「儲け」というものが重要ですが、その儲けを生み出す過程が、これまでとは変わってきている。ある建材メーカーからの相談で、コミュニケーション戦略の構想・企画・制作・運用についてお話をする機会に恵まれました。そこで少し考えたこと。

いつの時代も、企業はモノやサービスを売らなくてはならない。売上とか粗利率という「出口」を保証するには、その過程が時代に応じたものでなくてはなりません。いま、この時代を生きる私たちに働きかけることで、心を揺さぶり「買ってみよう」と思わせることが必要です。その過程は、コピーライターの開発した言葉も一つの軸になり得ますが、営業マン一人ひとりの考え方やものの見方が問われる時代です。そして、組織である以上、その考え方に対する評価も必要。意識が変われば行動が変わり、行動が変われば売上が変わるとするなら、意識の変容を捉えた社員の評価をトップは観察する必要があります。

わたしは、ゆとり教育の世代は、社会が言うほど悪いものではないのではないかと思います。社会のモノサシで見ず、一人ひとりの人間のなかには、ゆとり教育でしか得られなかった良さが必ずあるはずです。人を生かすも殺すも、トップの決める人の評価の視点であり、それは言葉の仕事と密接にかかわってきます。CONERIが言葉と思考をセットにして売っているのには、そういう理由もあります。


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【これも、コピーライターの視点_140】

<時間の連続性>

近代化が進むにつれて分業が進行し、一人ひとりの仕事の意味は見出しづらくなった。部分が切り取られ、前後のつながりや文脈に乏しい状態に埋没することで、効率を上げてきたわけです。スーパーに陳列されている商品は、そこまでに至る経緯や背景とは無関係な顔をしてそこにある。無機の塊です。作り手の仕事を見て取ることもないその商品は物語性が薄まり、その意味で生産者(メーカー)は、消費者に共感を持って届けることが難しくなった時代だと言えます。

物語の喪失は、連続性の喪失とも言えます。連続性を失うと、わたしたちは深い思考や体系的な思考がしにくい状況に陥るように思われます。前後の関係性が見えなかったり、異なるものとの関連づけがしづらくなったりします。連続する時間があってこそ、わたしたちは思考を深めることができる。切り取られ分断された時間のなかでは、人もまた無機にならざるを得ないものです。

部分に埋没してしまうことは、人の孤独感をいっそう強めてしまうのではないか。物語が共感を生むのは、前後の文脈や全体像が見えることで、その孤独感が癒されるからではないか。時間は、連続性のなかで捉えることで、それは可能になります。わたしが企業と実践しているデザイン思考は、この時間の連続性を実感できる方が成果が上がりやすいように感じています。分業の時代は続くと思われますが、他部署との連携、立場を超えた対話によって時間を取り戻し、連続性のある時間のなかで、思考し、判断し、表現することが、デザイン思考には必須だと感じています。


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今週の動き

今週も、大阪からのスタート。良い天気です。大学から帰れば、得意先との打ち合わせ、新規のお客さまとの打ち合わせ、スカイプ会議などがあります。スカイプ会議はどうも慣れませんが、ご希望があればという感じです。木曜には、ブックオフに出張買取をお願いしています。会社の壁一面に作りつけた本棚の中身を厳選します。名残惜しいが、数年も手にしていない本は、英断です。金曜は、太田地区の「未来デザイン井戸端会議」の新年会。ゆるく、楽しく。今週も、子どもの野球教室のお伴があります。冬に仕上げてシーズンを迎える。これは、大人の私にとっても良い刺激になっています。野球教室には、中学生の硬式のチームがあります。彼らの引きしまった練習ぶりにいつも刺激をいただいています。真の楽しさとは、じゃれあうことではなく、できることが一つずつ増えていったり、克服したり、戦い抜いたあとのすがすがしい気持ちにこそあるのではないかと思わされます。今週もよろしくお願いします。



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